【月夜見宮】 *外宮別宮
つきよみのみや
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《創建》不明
《由緒》『延喜太神宮式』に「月夜見社」と記されており、もとは外宮の摂社でした。承元4(1210)年に別宮に昇格し月夜見宮と称するようになりました。かつては正殿が二区あり、月夜見尊と月夜見尊荒御魂をそれぞれの社にお祀りしていましたが、応永26(1419)年に月夜見宮、当時荒御魂を祀っていた小殿、忌火屋殿等が焼失し、一つの社に月夜見尊と月夜見尊荒御魂がお祀りされました。その後小殿が再興されないまま現在に至ります。
昭和20(1945)年7月29日の宇治山田空襲の際には萱葺屋根に焼夷弾が突き刺さったものの不発だったこともあり、焼け野原に月夜見宮のみが残っている状態だったようです。月夜見宮ではこの空襲により 職員が死傷しています。
終戦後昭和22(1947)に月夜見講が発足し毎年4月19日、9月19日にお祭りが行われています。
▲月夜見宮古殿地。