旅の始まり
年末突然3日間のお休みをいただけることになったので、旅行をしようと考えました。3日ともは難しいので1泊2日の旅行をすることにしました。
最初はずっと再訪を考えていた宮島や金沢の予定を立てていましたが、いまいち気分が乗らず、スケジュールもかなりハードになってしまうため、頑張らなくても楽しめそうな京都を訪問することに。ちょうど小説『陰陽師』を読んでおり、夢枕獏さんが実際に京都を旅する 「獏さんと歩く『陰陽師』京都案内」が収録された『『陰陽師』のすべて』という本も持っていたため、陰陽師ゆかりの地を巡ることにしました。
事前に立てた計画
1日目
9:21 のぞみ215号 新大阪行き
11:32 京都
烏丸線(国際会館行2番線)
12:00晴明神社☆★→徒歩10分
12:50一条戻り橋☆→徒歩10分
13:00ブライトンホテル☆→30分バス
13:30平安神宮★(1時間)14:30→徒歩30分
15:00真如堂☆★(40分)→徒歩30分
16:10南禅寺★※有料部分受付4:10で終了(2時間)→電車30分
18:00神泉苑☆→(30分)徒歩10分
18:40朱雀門☆→徒歩10分
18:50陰陽寮跡地☆→バス40分
19:30羅城門跡地☆→バス、徒歩、電車40分
20:10鉄輪の井戸☆→徒歩10分
20:20ダイワロイネット
2日目
7:00ダイワロイネット→タクシー50分
8:00貴船神社☆(9:30まで)
13:54京都のぞみ372号
16:06東京
今回は初めての完全な1泊2日の一人旅。「獏さんと歩く『陰陽師』京都案内」で紹介された場所(☆)、映画『陰陽師』のロケ地(★)を巡ることにしました。
実際の旅程
1日目
9:21 のぞみ215号 新大阪行き
11:32 京都駅
12:10 晴明神社☆★→徒歩10分
12:40 一条戻り橋☆→徒歩10分
12:50 ブライトンホテル☆→タクシー
13:00 平安神宮★(30分)→徒歩30分
13:55 真如堂☆★(70分)→徒歩30分
15:30 南禅寺★※有料部分受付4:10で終了(40分)→タクシー25分
16:40 神泉苑☆→(7分)徒歩10分
16:58 朱雀門☆→徒歩10分
17:10 陰陽寮跡地☆→バス40分待ち時間あり
18:04 羅城門バス停
18:06 羅城門跡地☆→バス、徒歩、電車40分
19:00 鉄輪の井戸☆(10分)→徒歩10分
19:20 カフェバー高円(60分)
20:22 ダイワロイネット四条烏丸
2日目
6:30 ダイワロイネット四条烏丸(バス電車)
7:30 元田中駅
8:00 貴船口徒歩
8:25 貴船神社(10:30まで)徒歩
10:53 貴船口 電車
11:55 七条 徒歩
12:05 京都駅
12:55 茶寮FUKUCHA 京都駅店
13:54 京都のぞみ372号
16:06 東京
1日目はもう少し夜の街を歩いてもよかったのですが、スマホの充電がなくなってしまい、ホテルに行かざるを得ませんでした。
1日目
▲見飽きていてもついうっかり撮ってしまう富士山。新幹線に乗った時点で既にスマホの充電が60%。充電器をもっていたので車内で充電しましたが、こんなに減りが早いのは不安になります。車内は感染防止のためか、隣に他人とみられる人が座っている座席はなく、知り合いと座っているか、一人で座っている人しかいませんでしたのでゆっくりくつろげました。また座席の回転をしないようにとのアナウンスもありました。
▲晴明神社
今回の旅は陰陽師ゆかりの地巡り。まずは主人公の安倍晴明公を祀る晴明神社にご挨拶し、旅の安全を祈願します。ここはもちろん「獏さんと歩く『陰陽師』京都案内」でも夢枕獏さんが訪れており、映画陰陽師のロケ地にもなっています。若い女性やカメラを持った外国人、地元の人らしき方など様々な層の参拝者がいました。近くに晴明ゆかりの地があるので徒歩で巡ります。
12月でしたが温かく、襟のない薄いセーターとひざ丈のダウン、ストレッチ素材の薄いボトムという服装でしたが、暑くてダウンを脱いでも歩いていると汗ばんでくるほどでした。
▲一条戻り橋
この橋は平成7年に新築されたもの。
安倍晴明が式神をこの橋のたもとに住まわせたことが有名ですが、他にも晴明の父 保名がこの地で殺害され、晴明がその場で呪法を以て父を蘇生させたともいわれています。
延喜18(918)年文章博士 三善清行が亡くなった際、葬列がこの橋の上を通った時に浄蔵(清行の子 熊野の僧)が泣き悲しんで祈願すると清行が一時的に蘇生したという伝説から戻橋と名づけられました。他にも太平記には鬼が出没する場所として記されているなど、いわくつきの場所であったようです。
小説『陰陽師』では博雅がこの橋の上で「晴明いるかな」とつぶやいてしまうので、いつも屋敷への訪問が晴明にバレてしまいます。
▲橋の下を流れる堀川の様子。「獏さんと歩く『陰陽師』京都案内」ではここに獏さんが立って戻り橋の上から見下ろすように撮影をしていました。
この堀川は平安京造営時に運河として作られた人工の川です。水質悪化や豪雨対策工事で平成18年頃のはほとんど干上がっていましたが、市民の協力により現在の姿に生まれ変わったようです。さらにここから歩きます。
▲京都ブライトンホテル
晴明が住んでいた屋敷があったとされる場所で、もともと晴明神社が建っていた場所でもありました。ホテルが建つことになって晴明神社は移築したようです。晴明は京都の鬼門を守るためにこの位置に住んでいたともいわれているけど、その跡地に建てた神社を移築していいのかな?と思っていましたが、その屋敷は東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売にまで及ぶ広大なものだったようです。
本来ここからバスで移動する予定でしたが、ホテルにちょうどタクシーが駐車していたのと、時間短縮のためにもタクシーを利用して平安神宮へ向かいました。運転手さんは最初私が平安神宮のバザーを見に来たと思っていたみたいですが、お話ししていて初めて知りました。運転手さん曰く、今年の紅葉はあんまりきれいじゃなかったみたいですね。タクシーは感染症予防のため、細く窓を開けて風を通りしていましたが、暖かかったので気になりませんでした。
▼平安神宮
ブライトンホテルから10分ほどで平安神宮の応天門の前に到着。
▲東神苑にある泰平閣
▲映画『陰陽師』よりこのシーンで使われていたのはちょうどこの辺りからの角度のようです。
▲応天門をくぐると数えるほどしか人がいません。修学旅行で春にも訪れたことがある神社ですが、こんなにすっきりした境内は珍しいんじゃないでしょうか。奥に大極殿が見えます。
平安神宮で映画に使われたのはこの泰平閣、応天門、大極殿の3つです。
▲横断歩道を挟んで鳥居側にバザーが出ています。こちらはすごい人込み。画面中央に見える赤い鳥居は平安神宮のもの。
▲真如堂(真正極楽寺)
平安神宮から30分程度歩き、真如堂に到着。この時の時刻は14時頃。バスを使うはずだったところでタクシーを使い、かなり頑張って歩いたため、予定より1時間も早く着きました。これなら有料拝観部分が閉まる前に次の目的地の南禅寺に到着できるかも…。真如堂の寺務所はお堂の中です。お賽銭箱の隣に靴を脱ぎ、階段を登って中に入ることができます。本尊は誰でも拝むことができますが、庭園などは500円の拝観料が必要です。
真如堂には40分滞在する予定でしたが、有料拝観の受付をしてくださった袢纏を着たおじさんが安倍晴明公と真如堂の関係や庭園の成り立ち、親鸞聖人との関係など、順路内をすべて詳しく説明してくださったため、1時間以上も滞在してしまいました。御堂の中が畳だったので座って御本尊にご挨拶したため、熱心な人だと思われたのかもしれません(後から来た参拝者の様子を見て立ったまま拝んでいいと知りました;)以下に記すのはその方からお聞きしたお話です。
▲絵馬は安倍晴明が閻魔大王から授けられたとされる秘印「五行之印」をモチーフにしています。
安倍晴明は85歳まで生きましたが、実は若い頃に一度不慮の死を遂げています。安倍晴明が閻魔大王の前で裁きを受ける時、不動明王がやってきて「この男は現世に必要な人間である」と命乞いをします。閻魔大王は晴明に「五行之印」という秘印を渡し、「現世には横死の難を救い…決定往生の秘印なり…この印鑑を施し、あまねく諸人を導くべし」と言って晴明を現世に返します。この話は「真如堂縁起」にも記されており、真如堂本尊の脇侍の不動明王は晴明の念持仏であるとも言われています。晴明が閻魔大王から授かった秘印は寺務所で受けることができます。
▲こちらは涅槃の庭
大文字山を含む東山を借景にしています。奥に並ぶ石は横たわる仏を、手前の木の根元にある縦長の石は仏母マーヤー夫人を表しているそうです。仏は一番左が頭で右が足。その手前に横一列に並んだ小さな石は弟子を表しています。太陽の向きを見ると、北枕西向きになっているようです。
▲随縁の庭
真如堂には三井家累代のお墓があります。
三井家の家祖 三井高利氏が自身でこの場所を墓所に希望したと言われています。この日は三井グループの方が研修に来ているらしく、スーツを着た男性の集団がいらっしゃっていると伺いました。本坊書院に面した随縁の庭の奥には三井家の仏殿があります。
随縁の庭のモチーフは三井家の家紋「四ツ目結び」。随縁(真理が縁によって様々な姿を見せる様子)の名の通り、縁を大切にした庭で、配置された岩も元々境内にあったものを、仕切りに使われている石も玉垣などを用いています。そのため仕切りの石をよく見ると臍穴が空いています。
この他にも親鸞聖人や曼荼羅のお話などたくさんご説明をいただきました。
▲15時ごろに真如堂を出て映画ロケ地の南禅寺を目指します。道中、坂道を下っていくと大文字山が見えました。
▲南禅寺
最初に目に入ったのは大寂門
ちょうど真如堂を出てから30分が立ちました。どこから入っていいかわからず、この門ではなく、脇道にあった「南禅寺龍渕閣」の石碑のほうから入ってしまいました。
▲時間がないので早速方丈を拝観します。この方丈も映画の撮影で使われています。
▲名勝虎ノ子渡し 小堀遠州作 江戸時代初期の名庭です。
▲国宝方丈 国宝小方丈の庭園は「如心庭」と言われ、心字形に庭石を配した枯山水。悟りの心の風景の庭で、作られたのは昭和41(1966)年。当時の南禅寺管長 柴山全慶老師の「心を表現せよ」との言葉によって作庭されました。
▲六道庭
六道輪廻の教えを考える庭。昭和42年に作られました。如心庭が砂と石だけの世界で解脱の心を表現しているのに対し、この庭は生い茂る木や苔によって、涅槃の境地に達することなく六道を輪廻する迷いの心を表現した戒めの庭です。
方丈の室内は写真を撮ることができませんが、庭園の他、狩野探幽の襖絵や寝殿造りの構築などが残された貴重な文化財も見ることができます。回廊を通って次々に現れる古の時間を残した部屋を覗いていると、竜宮城で四季の部屋を覗く浦島太郎になった気分です。
▲この赤煉瓦の水道橋は日本三大疏水の一つ琵琶湖疏水が通っています。
▲南禅院へ向かう階段の途中にありました。お地蔵さんの頭の紅葉は人が乗せたのか、偶然乗ったのか。可愛いですね。
▲こちらは南禅寺発祥の地である南禅院の中。すでに15時55分になっており、受付の方に他の有料拝観部分も16時10分に閉まってしまうが、ここの拝観でいいか念を押されました。この庭は亀山法皇の作庭と言われており、かつては吉野の桜や難波の葦、竜田の楓など名勝から木々が移植されていたそうです。
▲亀山天皇分骨所
南禅寺は正応2(1289)年に亀山天皇が出家し、離宮を寄進して禅寺にしたことが始まりです。南禅院はその離宮の跡です。この分骨所は亀山法皇のご遺言によって建てられました。
▲南禅院から出てくるとすでに日が暮れ始めており、法堂に西日が当たっていました。後ろから入ってしまったため、ここでようやく法堂を拝みます。最後の有料拝観は映画にも使われた三門。登るときには16時5分になっており、20分までには降りなければならなかったので、修学旅行生とともにいそいで急な階段を登って行きました。
▲三門の上からの景色。現在の門は寛永5(1628)年に再建されたもの。歌舞伎「楼門五三桐」で石川五右衛門がこの門に登り「絶景かな」と言う有名な話があります。五右衛門が見たのもこんな景色だったでしょうか。後ろの建物の中を振り返ると、宝冠釈迦座像をはじめとするたくさんの仏像が収められており、建物の天井なども極彩色の装飾が施されています。
▲夕日の当たる三門。拝観時間が終わり、先ほど覗いて仏像を拝観していた楼上の扉が閉められていきます。
勅使門を出た所に駐車場があり、タクシーが客待ちをしていたので、電車を使うところでしたが乗せてもらうことにしました。
神泉苑に行きたいというと、「珍しい、あんまりそんなとこまで行くお客さんいないですよ」と雨乞いの霊場である神泉苑に纏わる話をしてくれました。
この運転手さんは神社に興味があるそうで、奈良の春日大社が鹿島から勧進されたときに神様が鹿に乗ってやって来たらしいとか、色々な話をして楽しませてくれました。
▲神泉苑
車だと南禅寺から10分くらいで着いてしまいます。夜に着く予定でしたが、まだ明るいうちに中に入ることができました。陰陽師『夜光杯ノ巻』に収録されている「龍神祭」では月光の中、晴明たちがこの場所を訪れています。
▲善女龍王を祀る社。「善女龍王社」という名前で境内の他の建物も「社」と着いていますが、善女龍王はインドの神様、神泉苑は東寺真言宗の寺院です。いただける御朱印も梵字などがついたお寺のものだったはず。
▲タクシーの運転手さん曰く、旱魃が続いたため淳和天皇が「雨乞い」を命じた。龍穴があり、雨乞いの霊場になっている神泉苑で守敏と空海が修法比べをした。守敏は空海の邪魔をするため雨の神である龍神等を閉じ込めるが、善女龍王は力が強いため従わせることができなかった。空海はこれを受けて天竺の阿耨達池から善女龍王を召喚し、雨を降らせた。このため天竺の阿耨達池と神泉苑は道ができた、と。これは『今昔物語』に伝わるお話ですね。
▲日本で唯一、歳徳神を祀る恵方社。毎年恵方に向かって社を回すため、台座が丸くなっています。歳徳神も「陰陽師」ではよく目にする神様です。
神泉苑は平安京造営の際に自然を利用して作られた禁苑で、常に清泉が湧くので「神泉苑」の名がつけられたそうです。かつては現在の10倍以上もの広さがあり、淳和天皇が釣りをしたり、嵯峨天皇による日本初の桜の花見が行われたりしていました。ところが二条城築城の際に縮小され、武士の時代になったことで荒れ果てて池の水が枯れてしまったこともあったそうです。
▲現在では善女龍王が住む「法成就池」と周辺部分が僅かに残るのみ。
それでも境内社に「参拝の鈴や拍手の音が近隣住民の迷惑になっています」という貼り紙が貼られる始末。国指定の史跡であり、神の住む場所でもありましたが、もはやかつての力は残っていないようです。
この辺りから携帯の充電が30%程度になっていたので焦り始めます。早々に次の目的地へ
▲朱雀門付近の碑
徒歩10分程度で着きます。朱雀門は平安京の正門であり、南に下ると朱雀大路の南端にある羅城門に、北に上ると平安京の応天門や大極殿などに行き当たります。かつては夏越・師走大祓や大嘗祭、斎宮伊勢群行などに伴う臨時の大祓が行われていたそうです。
博雅は朱雀門に住む鬼と笛を交換し葉二つを手に入れました。
▲陰陽寮跡地
「朱雀門付近の碑」からさらに徒歩で10分程度。ここは正式には「平安宮 中務省東面築地跡」です。中務省は平安宮の中にあった国家の重要な省庁「二官八省」の一つ。内裏のすぐ南にあり、省内には陰陽寮も付属していました。「獏さんと歩く『陰陽師』京都案内」では晴明と兄弟子の賀茂保憲が務めた場所として紹介されています。
ここから市営202甲のバスに乗って30分で羅城門跡地につきますが、どのバスに乗っていいかわからず、20分ほどロスしました。
▲羅城門の前についたのは18時4分。「羅城門」というバス停があります。
▲羅城門遺址
バス停のすぐ目の前の公園の中にあります。まだ18時ですがあたりは真っ暗。羅城門という名前だけで寂れた、おどろおどろしい場所なのかと想像していましたが、18時と早い時間だったこともあり、学校帰りの高校生が談笑しながら公園を横切っていました。
▲高校生カップルが談笑しているのを尻目に暗い中一人でパネルを読む私…不審者ですw
羅城門は朱雀大路の南端にあり、平安京の内外を分ける玄関口でした。『陰陽師』の第一話では消えた玄象を探して晴明と博雅がこの場所を訪れます。
▲鉄輪の井
羅城門からバスに乗り少し歩いて、ちょうど19時頃に到着しました。入口の両側は商店になっていていて、下町っぽい雰囲気の中に突然井戸の入り口が現れます。この引き戸は鍵が開いているのでいつでも入れますが、鉄輪の井は私有地にあるため周辺住民に配慮して参拝します。
▲上の写真と同じところでフラッシュを焚かないでとるとこんな感じ。
路地の突き当りに民家の玄関が見えます。引き戸の中は細くて長い一本道で、道の途中にも住民の方の物らしき自転車が収納してあります。
▲こちらが鉄輪井
▲隣の命婦稲荷神社に参拝するとき、お賽銭をいれると「カツーン」という音がして驚きました。周囲は二階建ての住宅などに囲まれているので空に向かって響きます。お賽銭箱が木でできていると思ったのですが、どうやら違ったみたいです。稲荷神社の左隣には民家があり、二階の窓に明かりがついていて話し声やテレビの音がします。
この場所は鉄輪の伝説で、浮気男をたたり殺そうとした鬼女が安倍晴明に調伏された場所だとも、晴明に退けられた女が身を投げた場所だともいわれており、男が鬼女から逃げ切ったことから、「縁切りの井戸」ともいわれているようです。井戸の水を相手に飲ませると縁が切れるとされており、水が枯れたいまでも縁切りを求める参拝者が絶えないそうです。夜中に参拝するなんて私も本気で縁切りを望む人だと思われかねないですね。入口の引き戸に戻ると、門の内側に防犯カメラが付いていてばっちり目が合ってしまいました。管理人さん、すみません。夜中に結構な時間滞在していますが、ただの旅行者です。鉄輪井で写真を撮り終えたころにはスマホの電池は4%になっていました。
羅城門址を通り抜ける高校生を見た時から思っていたのですが、千年も前から存在するいわくつきの場所が現代人の生活に当たり前のように溶け込んでいます。あたりは真っ暗で知らない土地に私一人がいるように錯覚し、頼りのスマホも充電が危うく焦燥感と寂寞に駆られますが、一本隣の道に入ると自転車に乗ったお母さんが子供と八百屋に買い物に出ていたり、小学生の子供たちが走り回ったり安心感のある日常の光景が広がっています。今回の旅では観光地と住民の生活の境目みたいなところをみることができました。これは他の人と「観光」しているときには気づけなかったことだと思います。
▲カフェバー高円
今回宿泊することにしたダイワロイネットホテルを通りすぎて、1本奥の角を曲がったところにあるカフェバー高円。ここは24時まで営業しているので晩御飯はここで食べると決めていました。ホテルの場所も確認できて一安心。
▲お酒を飲まないのでこのような店に入るのは緊張します。
勇気を出して扉を開き、一人で予約もしてないしお酒も飲めないが大丈夫か聞いてみると、快く迎え入れてくれました。この日のお客さんは私一人。普段は観光客や仕事帰りのサラリーマンで混んでいるようですが、紅葉シーズンも終わった金曜日のそこまで遅くない時間だったのでちょうど人がいなかったようです。店内のテレビにはホームアローンが流れていました。
▲こちらでいただいたのはクランベリージュース、パイナップルジュース、ブラックオリーブとアンチョビガーリックのピザ、ローストビーフ。
ご夫婦でやっているお店ですが、ローストビーフはマスターの大好物。ダイエットをするときにローストビーフなら太らないと言われて食べまくっていたので、そのうち自家製ヨーグルトを作る機械などを駆使して自身で作るようになったそうです。お店で出しているローストビーフもお客さんがいないときは自分で食べてしまうんだとか。どこを観光したとかたくさんお話をしましたが、さすがに鉄輪井や羅城門を巡っているとは言えませんでした;
奥様は東京出身で写真を撮るのもお好きだそうです。ダイワロイネットホテル四条烏丸に泊まる話をすると、マスターが利用したことがあったようで広くてきれいなホテルだよ。と教えていただきました。
▲ダイワロイネットホテル四条烏丸
ただのビジネスホテルだと思っていましたが、エントランスの一角に京都の風情。まだ20時半ですが、スマホの充電もないし、収支をまとめたり明日の計画を立てたいので部屋に入ります。
一人で予約していましたが2人部屋を使わせていただきました。お風呂に入ったり荷物を整理したり、諸々準備を整えて22時頃消灯。テレビでは京都でオミクロンの濃厚接触者が確認されたというニュース。この日は京都でのコロナ感染確認は1人。カフェバー高円の奥様によると前日は0人。これから新たな感染者が増えるだろうし、職場は本当にいいタイミングでお休みを与えてくれたと改めて思いました。
早めに就寝しましたが、慣れないベッドやふわふわの蒲団、時折聞こえるサイレンなどに起こされ、そのたびに明日の予定を確認するなどして中々に寝不足でした。
▲翌朝5時頃に起きてホテルを出発したのは6時半。まだ辺りは暗く、ビルに夜明けの光が当たっています。
▲叡山電鉄
バスに乗って徒歩一分の元田中駅で叡山電鉄を待ちますが、逆向きの駅に入ってしまい30分ロス。無人駅で入場時に電子マネーをタッチしたのですが、同じ駅では出場できず、取り消しの方法もわからなかったので、決済時にエラーが出ないか心配でした。念のため現金決済のための入場記録ももらっておきましたが、反対側の駅の入場記録も普通に使えることが判明しました。撮り鉄さんにつられて自分が乗る電車を撮影。7時32分発の電車に乗ります。
▲貴船口駅
到着したのは8時頃。この近くに一の鳥居があったようですが気づかずスルー。道理で皆反対方向に行くと思った。
▲昨日の京都市内では薄手のセーターで汗ばんでいましたが、さすがに貴船は寒い。川から霧が立ち上り幽玄の景色です。高円の奥様が言っていた通り、この辺りは紅葉はほとんど散ってしまっていました。私の前にも後ろにも若い女性が一人で歩いています。
参道は延々と続く上り坂。舗装された道路を昼間に貴船口駅から歩くだけでも大変です。参道の途中には「土砂崩れ発生、観光バス通行禁止」などと書かれた看板も。千年前なら狼などの獣もいただろうしこんなに長く続く上り坂を夜中に京都市内から駆けてきた鉄輪の女はどんな執念だったのだろうと考えました。昨夜鉄輪井に訪問しているので余計にすさまじさが際立ちました。
▲貴船神社本宮
道中に蛍岩や末社を見ながら本宮に到着したのは8時半。かなり頑張って歩いたつもりですが、私の前を歩いていた女性は末社などには目もくれず一目散に行ってしまったので遥か彼方に。私の後ろにいた女性はもう少しゆっくり歩いていたので、こちらもどこに行ったか分からず。人によって到着時間は大きく異なりそうです。
貴船は本宮、奥宮、結宮に分かれていて、女性グループは「本当に縁結びしてくれるのは結宮なんだって!」と先へ進んでいきました。社務所は9時からなので私も先に奥宮、結宮へ参拝し、9時15分ごろに本宮に戻って御朱印をいただきご祈祷の受付を行います。せっかく縁結びで有名な貴船に来たので縁結び祈願祭を受けることに。共に祈祷を受けたのは私の他に3組。どこかの企業の社長さんと、誕生日祈願のマダムと復縁祈願のため関東某所から来た大学生らしき男の子…改めて鉄輪を思い出します。ご祈祷の授与品でいただいた結び文を結宮に結んだ頃には10時20分に。想定より長く滞在してしまいました。また、帰りはタクシーを使うつもりでしたが、こんな山奥にタクシーはおらず、徒歩で帰る途中にすれ違ったタクシーも全て貸切。歩いて来たなら歩いて帰るしかなさそうです。
貴船の参道沿いには有名な川床のお店がたくさん並んでおり、「ぼたん鍋」とか「抹茶アイス」などの看板が出ていますが、私が帰るころにようやく何店舗かが開店するところ。本当は入りたかったのですが時間がなかったのでスルーしました。今回は鞍馬寺にも行ってないし、いつか貴船で1日過ごすつもりで旅行の計画を立てたいと思いました。
▲茶寮FUKUCHA 京都駅店
貴船神社で思ったよりも時間がかかり、京都駅も勝手がわからずお土産を買うのにも時間がかかり、本当は京都駅ビルの辻利やFUKUNAGA901で休憩したかったのですが、8階まで行けずに、一番近くにあった京都駅2階の茶寮FUKUCHAへ。ここだって検索で上位にでてくる人気のお店です。抹茶ブランマンジェと迷いましたが、調べているときに何度か紹介されていた抹茶ティラミスと抹茶ラテをいただきました。本当は抹茶だけがいただきたかったのですが、メニューが英語になっていて探すのが面倒だったためラテになっているものを注文。やっぱり牛乳感が強いです。ティラミスのほうが苦味が際立っていてよかったかも。人気の商品だったみたいで、後から入ってきた人が注文しようとしたところ売り切れていて残念がっていました。
今回の旅での食事はこれが2度目。先にテーマと参拝する場所を決めてしまっていたため、ゆっくりはできなかったし、その場のノリでお店に入る余裕もありませんでしたが、まだまだ行ったことがない場所もあるので京都は再訪決定です。次は計画を立てずにゆるめの旅を楽しみたいと思います。
【この旅のお供の御朱印帳】