【牛天神北野神社】
うしてんじんきたのじんじゃ
《住所》東京都文京区春日1–5–2
《祭神》菅原道真公
127
《創建》元暦元(1184)年
《由緒》源頼朝による創建です。寿永3(東国)年の東国追討の際、頼朝公は入江に船を繋いで荒れた海が静まるのを待っていました。すると牛に乗った菅原道真公が「二つの幸がある。それが叶ったら社を建てるように」と告げる夢をみました。目が覚めて側をみると、夢の中で道真公が乗っていた牛に似た石があります。不思議なことだと思っていましたが、その年の秋には頼家公が誕生し、翌年には平家討伐が叶いました。そこで夢を見たときに見つけた岩を祀って牛天神を創建しました。江戸時代には金杉天神と呼ばれていました。
▲牛天神の社殿。玉垣の中にも梅の木がたくさんあり、とても華やかです。この玉垣は新しく、平成3年に竣工されたようです。両側には狛犬ではなく牛が鎮座しています。
▲社殿の前の由緒書き。
▲こちらが「なで石」
頼朝公が神託を受けたときに見つけた牛に似た石です。頼朝公はこの石を御神体として太宰府天満宮から御霊を勧進されたそうです。この石を撫でると願いが叶うと言われており、「ねがい牛」とも呼ばれています。この石のため、この神社は「牛天神社」と呼ばれていました。
▲中島歌子の歌碑
「雪中竹 ゆきのうちに 根ざしかためて 若竹の 生出むとしの 光をぞ思ふ」と書かれています。
中島歌子は「萩の舎」の塾主で梨本宮妃をはじめとする上流・中流女性1000人を門下に抱えていました。樋口一葉もこの塾に入門しています。
▲社務所の前におみくじ結び所がありますが、これも牛と梅のモチーフです。
▲末社の太田神社、高木神社。
太田神社は天宇豆女命と猿田彦命をお祭りしており、関東大震災の頃までは賑わっていたようで、芸能にご利益のある御祭神にあやかって歌舞伎役者など芸能人に信仰されていました。元は黒闇天女という弁財天の姉の貧乏神を祀っていましたが、貧乏旗本の家に住み着き、居心地がいいので長く世話になった礼に旗本の窮状を救って福の神になったという伝説も残っています。
宇迦御魂命をお祭りする高木神社は、第六天町にあった第六天社が道路拡張に伴って遷座されたものです。
▲表参道。両側から梅の木がせり出しており、トンネルのようになっています。
▲階段を登った先に鳥居があります。
▲階段の下は社名碑と石門が建っており、社名と社紋が書かれた提灯がつけられています。
梅祭りの幕がつけられていますが、11月ごろには菊まつりの幕に変わります。
▲知らずにお伺いしたのですが、紅梅祭り期間限定朱印だったようで、紅梅色の印が押された御朱印と梅祭りの栞、梅酒をいただきました。
▲梅祭りは2月1日から2月25日まで。2月16日には献梅祭が行われ、野点や天神太鼓が行われるほか、甘酒なども振舞われるそうです。当日は梅の枝が配られるそうですが、祭期間限定の絵馬やお守りがあり、参拝時には授与所が賑わっていました。
▲挟み紙も梅祭仕様。
▲表には黒牛が、裏面には道真公と梅の花が描かれています。通常の御朱印もいただきたいですし、献梅祭には特別祈祷があり、一般参拝者も申し込みができるようなので次回はお祭り当日にお伺いしてみたいですね。