【蘆原神社】
あしはらじんじゃ
《創建》不明
《由緒》倭姫命によって定められた神社で、延暦23(804)年の『皇大神宮儀式帳』にはすでに記載されています。中世に荒廃し明治初期には社地不明となっていました。神宮ではこのころ廃れてしまった末社などを再興する動きがあり、葭原神社は明治13(1880)年に御塩殿神社の東西の御倉の古材を使って社殿の造営が行われました。
『延喜式神名帳』の写本には「萩原神社」や「荻原神社」とも書かれているようです。神宮は明治期にこれらの社名が同一の社を指すものと断定し、社名を「葭原神社」と定めました。
地元の方からはご祭神の伊加利比売命から「伊賀井の森」とも呼ばれているそうです。3柱の御祭神は全て五穀豊穣の神々です。