【月讀宮】 *内宮別宮第2位
つきよみぐう
《祭神》月讀尊
99
《創建》不明
《由緒》
奈良時代には「月讀社」と称されていたと考えられています。
延暦(804)年の『皇太神宮儀式帳』には「月讀宮」の名が残っており、「正殿四区」とあることからすでに現在と同じ4柱の神をお祭りしていたことが分かります。
かつては現在地よりも五十鈴川の近くに鎮座していたと考えられていますが、仁寿3(853)年の大風洪水で伊佐奈岐社とともに流されたことにより、斎衡2(855)年に現在地に遷座されました。明治6(1873)年までは4柱が1つの瑞垣の中に合祀されていましたが、のちに4社にわかれました。
▲境内にある4社の内、神前に向かって右から2番目にある社が月讀宮。ほかの3社よりやや大きくなっています。
この4社は参拝の順番があるのですが、いちばん最初に参拝するべき社です。
御祭神は外宮の別宮と同じ月讀尊で地元の方から「つきよみさん」と呼ばれ親しまれています。
神宮の社は南向きに建てられ、20年ごとに東西に隣り合った新御敷地に遷座しますが、月讀宮の4社は遷座の際、南北に移動します。現在の古殿地は社の後ろに隠れているため見ることはかないません。