桔梗屋 御朱印の旅

神社ばかりお参りしてまわっております。戴いた御朱印が多くなってきたので、管理がてら公開します。御朱印以外の話も多いかも

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【御朱印】平安神宮 (京都-京都市)

平安神宮

へいあんじんぐう

《住所》京都府京都市左京区岡崎西天王町97

《祭神》桓武天皇 孝明天皇 

f:id:mocchis0:20211222213927j:plain138 書置き

《創建》明治28(1895)年

《由緒》延暦13(794)年の平安遷都から1100年を記念して、平安京遷都を行った京都の祖神 第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。創建当時、幕末の戦乱や明治天皇東京奠都によって京都の町は荒廃していましたが、京都の復興と古都の維持継承を望む市民によって、平安神宮の鎮座が実現しました。境内には桓武天皇当時の平安京の正庁 朝堂院が8分の5の規模で復元されています。

皇紀2600年にあたる昭和15年には平安京最後の天皇である第121代孝明天皇が合祀されました。

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▲遠くに見える大鳥居は国の登録文化財。昭和の御大典が京都で行われたのを記念して昭和4年に造営されました。当時は日本最大の鳥居でした。

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▲應天門(国指定重要文化財)

創建当時、平安京大内裏の正庁朝堂院の南面正門である應天門を模して築造され、同じ名がつけられた神門。平安京の應天門も鴟尾があり、碧瓦葺の二層の建物だったそうです。

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▲應天門から境内を覗いた様子。正面の大極殿の前には左近の桜、右近の橘が植えられています。

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▲紫宸殿の南階下の西に橘が、東に桜が植えられています。儀式のときにはこの橘の近くに右近衛府の官人が列したため「右近の橘」と呼ばれるようになりました。橘は日本で唯一の野生柑橘類で古事記には常世国の不老長寿の果実として登場します。

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▲橘が小屋で覆われているのは実が付いているからではなく、寒さから守るため。初代の橘は明治28年6月に奉納されましたが、昭和36(1961)年の大寒波により枯死し、現在の2代目の橘は同年5月に植えられたものです。

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▲龍尾壇
大極殿の前に3段の段差があります。この段差の上は龍尾壇と呼ばれ、平安京朝堂院においては大極殿と朝堂・朝廷の境に設けられていました。

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▲入母屋造りの外拝殿は平安当時の大極殿を2分の1のスケールで模しており、国指定重要文化財に指定されています。古代において大極殿は役所の中で最も重要な建物で、天皇が政務を行い、即位などの儀式が行われた施設です。そもそも大極とは万物生成の起源や宇宙を示す言葉で、天皇の坐す御殿を意味するそうです。

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大極殿の東西は蒼龍楼、白虎楼とつながっています。

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▲こちらは西の白虎楼。創建当初、裏松固禅の『大内裏図考証』などを参考に造営されたもので国指定重要文化財に登録されています。

 

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▲白虎楼付近の回廊には神苑の入り口があります。

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神苑は1万坪(東京ドーム1個分)の広さがあり、至る所に桜が植えられています。とりわけ神苑入口付近は桜が密集しています。

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▲かつて春に平安神宮を訪れたときのもの。画面中央の白虎楼の奥に神苑の桜が見えています。この時は京都全体が花盛りでした。

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▲入ってすぐのところに枝垂桜。創建当初、仙台市長から寄贈されたものです。津軽藩主が持ち帰った近衛家の糸桜がもとになっており、京都に帰ってきたことから「里帰り桜」と呼ばれます。奥に写りこんでいる方々は雑草を取るなど庭のお手入れをしている職員さんです。

 

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▲最初の区画は南神苑と呼ばれ、創建以来 八重紅枝垂桜の名所となっています。時期ではないので枝ばかり。

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▲南神苑には平安時の代表的な文学書に登場する草木が約180種植えられています。それぞれに付けられたパネルには草木の名前、登場する作品名とその一節が記されています。

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明治28年1月31日に運行された日本初の電車。当初は京都電気鉄道が運行を担っていましたが、京都市営の電気軌道の運行によって衰退し、昭和36年に完全に廃止されます。この電車は遷都1100年を記念し、京都復興の願いを込めて敷設されており、同年に同じ理由で創建された平安神宮とも縁が深いため、市から払い下げ、神苑内に保存しています。

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▲西南の築山にある茶室、澄心亭。創建当時に建てられたもので、度重なる改修を経て、現在では月釜や観桜茶会などで使われます。

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▲西神苑は白虎池がほとんどを占めています。この池は初夏には花菖蒲が有名です。

西神苑は中神苑とともに創建当初に作庭されました。

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▲さらに進んで中神苑 蒼龍池に架かる臥龍

神苑作庭者の七代目小川治兵衛が手掛けたもの。この石は天正17年に秀吉が造営した三条・五条の大橋の橋脚だそうです。冬の時期に石に雪が積もる様は風流。なおこの橋は渡ることができ、池に浮かぶ珊瑚島まで行くことができます。

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▲創建当時から丑寅の方角を守る地主社。毎月1日にお祭りがあるようです。

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▲東神苑の栖鳳池に架かる橋は泰平閣と呼ばれる橋殿です。奥に見えるのは華頂山

神苑は明治末期から大正初期に作られました。

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▲泰平閣は京都御所から尚美館とともに移築されたもの。

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▲泰平閣から華頂山の方を見渡すと平安神宮会館が目に入ります。この建物は披露宴会場です。境内の東側には結婚式場となる神楽殿や結婚式総合受付など、結婚式に関わる施設が集まっています。

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京都御所から移築された貴賓館の尚美館。

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神苑の出口は蒼龍楼の近くです。平安神宮の朱、碧、白で彩られた前庭も綺麗ですが、神苑も紅葉や新緑、花の時期に訪れればもっと楽しめたはず。いつか春の早朝、人がいない時期などに訪れたい場所です。