【命婦稲荷神社・鉄輪社】
みょうぶいなりじんじゃ・かなわしゃ
《創建》不明
《由緒》能の『鉄輪』に登場する鬼女は安倍晴明に調伏され、鉄輪井のあたりで息が絶えたと伝えられています。この地では鉄輪とともに女の霊を弔うため「鉄輪塚」を築きました。のちに命婦稲荷神社が鉄輪井の横に勧進され、一時廃止されます。昭和10年、命婦稲荷神社が再建され、鉄輪井も屋根をかけるなどの改修が行われました。この工事のときに土の中から「鉄輪塚」の石碑が発掘されたため鉄輪社の小祠をつくり、鉄輪大明神の御神体として納めています。
▲鐵輪ノ井戸(鉄輪井)入口
鉄輪の井並びに命婦稲荷神社があるのは私有地ですが、引き戸には鍵がかかっていないため、いつでも参拝することができます。
▲引き戸の前にある「謡曲傳示 鐵輪跡」の碑石 昭和10年11月に建てられたもの。命婦稲荷神社再建に伴い建てられたと思われます
▲畳ほどの幅の参道を進むと右手に鳥居が見えてきます。道が狭いため、鳥居を正面から写真に納めることができません。夜でも周辺の民家から漏れる明かりで十分参拝できます。
▲鳥居は平成15年に鍛冶屋町敬神会によって建てられたもの。鍛冶屋町はかつては「鉄輪町」とも呼ばれていました。
▲鳥居の扁額には命婦稲荷神社の名前が掲げられています。正面に見えているのが命婦稲荷神社。
▲命婦稲荷神社は1666(寛文6)年、もしくは1668(寛文8)年に伏見稲荷神社より勧進されました。1877(明治10)年になると府令により一時廃社されますが、1935(昭和10)年に再建されます。
▲鉄輪の井・鉄輪社
鉄輪社のご祭神は鉄輪大明神。御神体は発掘された碑石。井戸の上にあるのは鍛冶屋町敬神会による由緒書き。
もともとは社はなく、鉄輪井と鉄輪塚がありました。
男に捨てられた女が貴船に丑の刻詣りをして男を殺そうとしますが、安倍晴明に調伏され、この地で息絶えます。一説には女が住んでいた場所だとも、井戸に身投げをしたともいわれています。女の霊を鎮めるため、丑の刻詣りの作法により女が身に着けていた鉄輪の塚を築いたのが始まりです。
男はこの地で女との縁を切ることができたため、縁切り井戸としても有名になり、この井戸の水を飲ませると相手との縁が切れると言われ井戸水を汲む人が絶えなかったようです。現在は地下鉄工事等の影響で今は水が枯れ、井戸は金網で封じられていますが、それでもペットボトルの水を供えて持ち帰る人もいるようです。