【平河天満宮】
ひらかわてんまんぐう
《祭神》菅原朝臣道真公 相殿 誉田別命(八幡宮)徳川家康公(東照宮)
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《創建》文明10(1478)年
《由緒》江戸平河城 城主の太田道灌が菅原道真公の夢を見て、その翌朝菅原道真公自筆の画を贈られました。これにより霊夢であるとして城内に自ら天満宮を建立しました。
徳川家康が平河城に入城すると社は平川門外に移され、さらに2代将軍秀忠により現在地に移されます。徳川幕府をはじめ紀州や尾張徳川家、井伊家などに信仰され、宮司さんは正月には将軍に単独で謁見できました。
現在では皇居内に「梅林坂」という名前が残っていますが、これは平河天満宮の梅林があった名残だそうです。
菅原道真公950年忌にあたる嘉永5(1852)年には平河天神・亀戸天神・牛天神で開帳され、平河天神では狛犬・常夜燈・筆塚が奉納されました。
▲拝殿。縁結びの梅は拝殿左側にあります。実が2つ並んで成るので恋愛成就に効くとされていますが、時期ではないのでもちろん実はなっていませんでした。
▲享和元(1801)年に奉納された狛犬。
紫宸殿の障壁画をもとに作成されたものですが、嘉永3(1850)年の火災で壊れてしまったため、嘉永5(1852)年に修復されました。
▲左側の狛犬は頭上に深さ5cm、直径10cmの跡があり、角が生えていたと思われます。また、左手首にも破損を修復した跡があります。
▲石牛
境内には5基の石牛が置かれています。写真手前の撫牛は嘉永5(1852)年に奉納されたもの。浄瑠璃常盤津節の岸沢右和佐の門弟が奉納しました。
▲手水舎にはかわいらしい手ぬぐいが下がっています。
▲平河稲荷神社
▲三殿宮。大鳥神社・塩神社・浅間神社の3社をお祀りしています。
▲天保15(1844)年に奉納された銅鳥居。千代田区最古の鳥居で御鋳物師 西村和泉藤原政時の作。12代続く当主の8代目が奉納したと思われます。鳥居の足には獅子の彫刻がされています。この鳥居によく似た市谷亀ヶ岡八幡宮の銅鳥居は5代目が作成したものだそうです。
▲稲荷神社の境内にある百度石。嘉永5(1852)年に奉納されたもの。背面に多数の人名が書いてあります。
▲天龍石。力石として使われました。
▲筆塚
▲御朱印の挟み紙は金砂子。お下がりにお煎餅もいただきました。