【貴船神社】
きふねじんじゃ
《祭神》本宮 高龗神 結社 磐長姫命 奥宮 高龗神
139140(書置き)
《創建》不詳
《由緒》古くは木船、貴布祢とも書かれましたが、明治4年に「貴船」と改められました。玉依姫命が木船に乗って大阪湾から淀川、鴨川をさかのぼり、現在の奥宮の地で水神を祀ったのが起源。飢饉や疫病などの天災や国家的有事の際には勅使が参向し祈祷が行われていました。和泉式部が参詣し心変わりした夫との復縁祈願が成就しました。
▲叡山電鉄貴船口駅は参道の中にあります。一の鳥居をくぐるには、一度逆戻りしなければなりません。
▲参道を歩いて少しすると蛍の名所 蛍岩が出てきます。和泉式部は貴船神社に参詣し、「もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる 魂かとぞ見る」「木船川 山もと影の 夕ぐれに 玉ちる波は 蛍なりけり」と和歌を詠みました。いまでもこの付近で蛍を見ることができるようです。
▲梅ノ宮橋
貴船神社の参道は貴船川に沿っているため3,4か所の橋があります。
▲橋を渡ってしばらく、のり面の上に社が見えてきます。木花開耶媛を祀る末社、梅宮社。
▲貴船川
川べりに料亭が並んでいます。
▲夏になると川床ができて賑わいますが、冬の早朝では開いているお店もありません。
こちらは京都貴船 川床料理旅館 貴船べにや料亭街の入り口のお店です。
▲川からの湿った空気で屋根が苔むしています。べにやさんは宿泊もできるので今度夏にでも行ってみたいですね。
▲こちらは貴船 水源の森 天山令和3年7月にリニューアルオープンしたばかり。
参道は長いですが、見どころがたくさんあるので飽きることはありません。
▲烏帽子岩が見えてきました。この岩の上に烏帽子を置いて禊をしたそう。
俗世と聖域を分ける境として入口に川を持つ神社は多いですが、貴船神社の参道は貴船川と並走しています。
▲こちらが烏帽子岩
▲鞍馬寺西門に続く橋
鞍馬寺は延暦15(796)年に貴船明神のご神託によって藤原伊勢人が創建しました。
▲貴船本宮の鳥居が見えてきました。
▲こちらが本宮入口。貴船神社は本宮、奥宮、結社の三社からなり、三社詣を行います。かつて社殿は現在の奥宮の場所にありましたが、天喜3(1055)年に現在地に移転されました。
▲御船神と猿田彦命を祀る 白髭社。訪れた時間がまだ早かったので、神主さん達がブロワーなどを使って境内を清掃していました。
▲プロモーションでよく使用されている灯籠の参道。冬なので葉が落ちていますが紅葉並木になっているようです。夏は青紅葉、秋は紅葉、冬は雪の景色が有名ですが、残念ながら12月ではいずれも楽しめません。特に今年は暖冬でしたが、雪が降るのは1月~2月くらいでしょうか。
▲参道の階段を登りきると本宮が見えてきます。
▲白馬・黒馬の像
貴船神社は天候を司る社なので、歴代の天皇陛下は日照りの時には黒馬を、長雨が続くときには白馬もしくは赤馬を奉納して祈祷をされていました。平安時代にはすでに生馬に代わって板に書かれた馬を奉納していたことがあったようで、絵馬発祥の地ともいわれています。
▲手水舎。ここの水は湧き水ではなく、川の水を利用しているようです。
▲現在の本宮。奥宮の場所にあった社殿が洪水で流されてしまい、天喜3(1055)年に本宮が現在地に移されました。
▲写真左手が拝殿、右手が本殿。現在の社殿は平成時代に基礎から全てを一新し建て替えられたものです。社殿は遷座以降36回以上は建て替えられているそうです。
▲ブラタモリでタモリさんが訪れたこともある貴船の湧き水。「川をたどれば京都がわかる!?」という回で鴨川の上流として貴船川と貴船神社が紹介されました。タモリさんは岩の隙間から聞こえる蛙の声に耳を澄ませていましたが、今回は冬だったので蛙はいません。
▲御神木の樹齢400年の桂の木。結社、奥宮にも桂の木があります。
▲本殿の裏に回ってきました。
▲牛一社に祀られているのは木花開耶姫命、そして牛鬼。
能の演目「鉄輪」では貴船神社の社人に「牛の刻に参詣する女に神託を伝えよ」との夢のお告げがあり、浮気夫を呪う女に「鬼になりたくば頭に鉄輪を載せ、五寸釘をくわえ…」と有名な丑の刻詣りの恰好をさせる場面が出てきます。これによって貴船では今でも五寸釘で打たれた藁人形があるそうですが、牛鬼の貴船に伝わる姿は異なるようです。
牛鬼は「丑の年丑の月丑の日」に貴船明神の供としてやってきました。口が軽く神の世界の事を誰彼構わず話しまわっていたため、神の怒りに触れて舌を八つ裂きにされ吉野に追放されました。牛鬼は後に貴船に戻り謹慎を続けたことから神に許されましたが、自らを「舌(ぜつ)」と名乗り、現在でも舌家として残っているそう。「舌」の名が入った灯籠も奉納されているようです。能の演目「鉄輪」でも結局のところ鬼女は夫の呪殺に失敗し調伏されてしまいますし、貴船は気の生ずる根源として「気生根」とも書かれる場所で御神気によって「気枯れ(ケガレ)」を癒す場所です。藁人形を打ち付けて境内の樹木や社殿を傷つける行為は罰当たりですのでやめましょう。
▲本殿での参拝を済ませ奥宮に向かいます。こちらの参道にも灯籠があります。境内は本宮、結社、奥宮の順に並んでいますが、まずは結社を通り過ぎて奥宮へ。
▲参道の相生の杉。縁結びの神社の為か、祀られている相生の木が多いような気がします。
▲奥宮入口の思ひ川。橋の名前はおもひかけ橋。かつてこちらが本宮だった時には物忌川(ものいみのかわ)として身を清めるために使われましたが、いつしか和泉式部の貴船詣の話と相まって思ひ川と呼ばれるようになりました。
▲こちらが奥宮入口
▲奥宮にも相生(連理)の木があります。左右の木で質感が異なりますが、こちらは杉と楓が和合したもので貞明皇后がご参拝の折に賞賛されたそうです。
▲御船形石。これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全に御利益があるとされていました。
▲能の演目「鉄輪」について、謠曲史跡保存会の立て札があります。丑ノ刻詣りはそもそも御祭神が丑の刻に降臨され、霊験あらたかな事を示す故事として残るものであるから、単に呪いの為だけに使われるべきではないとの見解を示しています。
▲奥宮社殿。水や雨を司る高龗神を祀っており、以前はここが本宮でした。社殿によると、玉依姫命が黄船に乗って川を遡り、祠に水神を祀ったのが始まりとされています。貴船の本殿下には巨大な龍穴があり、文久年間(1860年代)の本殿修理の際に大工が誤って穴の中に鑿を落としたところ、空が曇って突風が置き、鑿が空中へ吹き上げられたそうです。
次に結社へ向かいます。
▲結社入口。磐長姫命を祀る神社
▲結社社殿。磐長姫命は本宮裏に祀られているの姉にあたります。邇邇芸命と木花開耶姫命の婚姻に際し、父大山祇命が磐長姫も共に嫁がせようとしたところ、邇邇芸命が拒否したため、大いに恥じ入って「吾こゝに留まりて人々に良縁を授けよう」と言ってこの地に鎮座したとされています。
▲結社社殿。
▲本宮で縁結び祈願を受けた際、こちらの結び文をいただき、絵馬のように願い事を書いて結社に奉納するよう、神職さんにお勧めいただきました。
▲赤い紅葉の絵馬と緑の結び文がたくさん奉納されています。
▲樹齢400年の桂の御神木。
▲天乃磐船
貴船の山から出土し平成8年正月に市内の造園業を営む久保氏によって奉納されました。重さ6tもあるようです。
▲縁結び祈願でいただいた授与品。あぶらとりがみ、梅結茶、結び守、そして石鹸。石鹸は無添加国産素材を使用し、純石鹸成分が95%以上で貴船神社の御神水を使用し伝統製法で作られています。
貴船神社にはぜひ青紅葉の時期にもう一度訪れたいですね。