【千住本氷川神社】
せんじゅもとひかわじんじゃ
《住所》東京都足立区千住3-22
《祭神》素戔嗚尊
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《創建》徳治2(1307)年
《由緒》下総国千葉氏が牛田に氷川社として創建しました。江戸初期になると、 千葉氏一族の権の兵衛などの地主が現在地に分社を建立します。明治43(1910)年、氷川社は隅田川の洪水を防ぐ目的で構築された荒川放水路の用地にかかり、分社に合祀されます。
昭和45年には社殿を新築し、鉄筋コンクリート銅板葺きとなりました。
▲境内には師走大祓の茅の輪が残っていました。拝殿に向かって右奥に授与所があり、御朱印もそこでいただけます。
▲拝殿にも注連飾りがついています。拝殿は鮮やかな装飾が施されていますが、鉄筋のためかややのっぺりした印象があります。
▲境内末社 久須志神社
昭和の社殿新築工事の後、氷川社は鉄筋コンクリートになりましたが、もともとの社殿はその後改築され末社となりました。七福神のうち大黒天でもある大己貴命の他、少彦名命、岩長姫命が祀られています。
拝殿前に米俵が積まれていますが、開扉は1月15日のため、大黒天像を拝見することはできませんでした。
▲随所に龍や鳥などの繊細な彫刻が施されています。足立区の有形文化財にも指定されています。
▲『足立区年中無休 ラジオ体操発祥の地』の石碑が立っています。字はなんと本用務大臣の鯨岡兵輔氏によるものです。もともと夏休み期間のみだったラジオ体操が昭和30年ごろから年中無休となり、現在まで続いているそうです。この石碑は年中無休になってから30年を記念して建てられたものです。
参道には一ノ鳥居から藤棚のようなものが掛かっていましたが、1月では花どころか葉もなくなんの植物かはわかりませんでした。
もし藤棚だったら花の時期には藤のトンネルを通って参拝ができますね。
▲境内にはお焚き上げをしたのか、焚き火の跡のようなものが残っていました