■おかげ横丁 つぼやの煙草入れ■
今日は仕事が忙しかったため簡単なまとめの記事です;
神宮に行くならせめてこれだけは知っておいたほうがいい、という情報です。
【神宮ってなに】
皇室の御祖神(みおやがみ 祖先神のこと)を祭る神社
正式名称:神宮
外宮、内宮あわせて2つの正宮、14の別宮、摂社、末社、所管者はもあり109社、すべて合わせると125社ある
所在地:125のお宮は伊勢市、松阪市、鳥羽市、志摩市、度会郡、多気郡に広がっている
建築:唯一神明造
保有する神社(神域)以外の施設:神宮徴古館、神宮美術館、神宮農業館、倭姫文化の森、せんぐう館、神宮文庫など
【神宮の由緒】
公式パンフレットには『日本書紀』の記述による由緒が書かれています。
『日本書紀』といえば『古事記』とならぶ日本の最古の歴史書ですね。
『日本書紀』に見られる鎮座の由来を私なりに要約してみました。
天孫降臨以来、歴代天皇は皇居内で天照大神の身代わりに鏡を祭っていた(同床共殿)。第十代崇神天皇の御代に国に数々の災いが起った。調べてみると、天照大御神を皇居に祭るとエネルギーがすさまじく安らかでないことが分かった。豊鍬入姫に天照大御神を託し、よい場所で祭るようにした。天照大御神は倭の笠縫村(奈良県詳しい場所は諸説あり)に祭られた。第十一代垂仁天皇の時代になると倭姫命が再び鏡をもって各地を巡行、伊勢にやってくる。すると「是の神風の伊勢の国は常世之浪重浪帰する国なり。傍国可怜国なり。是の国に居らむと欲ふ」(この神風の吹く伊勢の国は常世の国からの波がたどり着くところだ、美しい国だ、ここにいたいと思う)というお告げがあり、現在の場所に鎮座した。500年後、再び天照大神のご神託があり、豊受大神が丹波国から山田原に迎えられた。
11代垂仁天皇は紀元前69年から紀元後70年に存在していたといわれていますので、神宮が伊勢に鎮座してから2000年の歴史があるということになります。
式年遷宮については天武天皇の発案で、持統天皇4年に第一回が行われてから1300年間にわたり続けられ、平成25年の遷宮は62回目となるそうです。
残念ながら今日のところは以上です;
明日からは内宮外宮の社や施設の紹介などもう少し詳しい内容を書きたいと思います。