■伊勢銘菓 おかげ犬サブレ■
今日は内宮の鳥居前に広がるおかげ横丁を紹介します
【おかげ横丁とおはらい町】
おかげ横丁やおはらい町は、内宮が紹介されている情報誌を見ると必ずと言っていいほど、ランチやお土産を探せる場所として紹介されています。名前も似ているし、場所も近くにあったりと両者は混同されやすく、どこの部分を指すのかいまいちわかりにくいですね。
おはらい町は江戸時代、御師が活躍した時代に神宮の門前町として栄えた場所のことです。御師はここに館を持ち、客人を泊めてもてなしていました。宇治橋から北に向かう参道がおはらい町通りと呼ばれ、100軒もの食事処やお土産屋さんが軒を連ねています。通りの全長は800mもあり、浦田の信号のあたりまで続いています。宇治橋の外側にある鳥居から内宮に向かってみたときに左手に通りが広がっています。
一方、おかげ横丁はこの800mも続くおはらい町通りの横道のことです。おはらい町通りの真ん中あたりに位置し、赤福本店や常夜燈がある十字路を入り口として西側に広がる横丁です。茶屋や土産物屋の他、太鼓櫓や俳句館など見学施設が多いのも特徴です。
おはらい町もおかげ横丁も共通して、朝は9時ごろ、夕方は5時ごろに終わってしまいますので、スケジュールの組み立てにはお気を付けください。昼間からお酒が飲めるお店はありますが、居酒屋のようなところはありませんので、夜にのんびり過ごすことはできません。
【おかげ横丁の成り立ち】
実はおかげ横丁は赤福の社長さんの指揮の元、平成5年に人工的に作られた街並みなのだそうです。最近できた町なんですね。町の形成には140億円もかかったそうですが、現在の賑わいを見るとかなり成功したプロジェクトなのではないでしょうか。おかげ横丁のお店が一斉に閉まってしまったり、文化を紹介する見学施設が多いのも、初めからテーマパークのように作られた人工の町だからでしょう。
神宮の門前町は、江戸時代には御師の活躍もあり、年間400万人もいた神宮の参拝客によって賑わいを見せていましたが、戦後になると参拝者が20分の1にまで減少してしまいました。赤福社長の発案により、このおかげ横丁が作られると徐々に観光客が回復し、現在では年間の来訪者が600万人を上回る年もあるようです。