【浅草神社】
あさくさじんじゃ
《住所》東京都台東区浅草2丁目3‐1
109
《創建》不明
《由緒》浅草神社の隣の寺院 浅草寺の始まりについて『浅草寺縁起』には、「漁師の 檜前浜成・竹成が漁をしていたところ聖観世音菩薩像が海中から出現した。当時郷土の文化人であった土師真中知に相談したところ、土師氏が僧侶となり寺を建てて観音像を奉安することとなった。」ということが記されています。この浅草寺を創建した土師氏の子孫の夢に聖観世音菩薩が現れ、「お前たちの親の功績は素晴らしいものだ。観音堂の傍らに神として親たちを祀り、三社権現として祀りなさい」と告げました。
これにより、浅草寺の縁起に関わる檜前浜成・竹成、土師真中知が「三社権現社」として祀られることとなりましたが、明治の神仏分離令により、明治元年に「三社明神社」と改名しました。
▲浅草神社の鳥居。実は隣の浅草寺から直通で境内に入れるので、ここから入る人は半分くらいだと思います。
▲浅草神社から見た浅草寺。手水は正参道側からも、浅草寺側からも近いところにあります。
▲国の重要文化財にも指定されている拝殿。慶安2(1649)年に第3代将軍徳川家光により建立されました。浅草神社は行くたびに号鼓が鳴り響き、いつもご祈祷が行われています。拝殿と幣殿それぞれで同時に違うご祈祷が行われているようです。
▲浅草神社の門番。どっちもお獅子に見えますね。狛犬などは四角く加工された石に座っていることが多いですが、自然の岩を模した台座がとてもかっこいいです。
▲向かって左の吽像は「山川町 大工虎五郎」、右の阿像は「日町文三郎」と刻まれています。
▲三社祭で担がれる3つの神輿、「一之宮」「二之宮」「三之宮」が収められている神輿庫。社紋が入っていますが、3柱の神を表す紋です。
▲小説家の川口松太郎の句碑。『生きるということはむずかしき夜寒かな』と刻まれています。浅草神社には他にも ほととぎすの碑、花柳壽輔碑、扇塚、榧樹碑、花塚などたくさんの石碑があります。右は夫婦狛犬。江戸初期に作られ、寄り添って並ぶ形状から良縁や夫婦和合のご利益があると言われています。
境内も広いし仲見世も賑わいがありますし、ここだけで1日ゆっくりできそうですが、七福神めぐりをしているので次の寺社にむかいました。