【上野花園稲荷神社】
うえのはなぞのいなりじんじゃ
《住所》東京都台東区上野公園4‐17
《祭神》倉稲魂命
107
《創建》不明
《由緒》正式名称は「忍岡稲荷」。石窟の上にあったことから「穴稲荷」とも呼ばれていました。一時廃絶していましたが、承応3(1654)年、本覺院の住僧晃海僧正が霊夢を見て再建し、上野の山の守護となりました。「穴稲荷門の戦」と呼ばれる彰義隊の最後の激戦の後、明治6年に再興され「花園稲荷」と改称しました。このとき五條天神社が当地に遷座したのに伴い、石窟の上にあった社殿は南向きになるよう、元の場所から移築されています。
御朱印は書置きのみの頒布。五條天神社の社務所でいただけます。裏面全面がシール状になっているため、いただいたその場で張り付けることができます。
上野公園の道路を挟んだ向かいに鎮座する神社。誰も気にしていませんが、ときおり車が通るので気を付ける必要があります。花見の時期ではありませんが、上野公園は外国人がたくさんいました。
▲初めの石の鳥居をくぐるとあとは延々と朱塗りの鳥居が続きます。あまり人が写っていませんが、私の前にも後ろにも外国人観光客がいました。やはり皆さん鳥居に興味があるようで、参道で立ち止まっては写真を撮っていました。
▲参道は階段を下っていきます。登ることはあっても下ることってあんまりありませんね。
▲奉納鳥居は少し華奢な作りです。参道の最後も石鳥居でした。
▲境内から振り返った参道。ちょうど階段の上で記念撮影している方が見えますね。
▲参道右手に社が鎮座しています。年月の経った素木造りの社殿に朱塗りの賽銭箱が映えます。
拝殿の右側、神使像のうしろにあるのは献灯台です。実際に使われているようで燃え尽きた蝋燭が数本入っていました。
▲拝殿から振り返るとまっすぐに続く参道があり、その参道に沿って手水舎があります。よく考えたらこっちが正参道だったかも。上野公園から人が降りてくるようになったから裏参道が発達しただけで、ここから参拝して上野の山に登るというのが本当のルートかもしれないですね。
▲五條天神社とつながっており、社務所は天神社側の弓道場の建物の端っこの一か所のみです。
▲穴稲荷。伊藤博文による「神徳惟馨」の扁額が掲げられています。
かつてはこの石窟の上に社殿が建っていましたが、明治の再建の時に南向きになるよう現在の位置に建て直されたそうです。社殿が移転した後に残った石窟は現在「お穴様」と呼ばれています。
▲お穴様の入り口。中は写真撮影禁止です。入り口の神使像は眉間に皺をよせた般若っぽい表情です。参拝当時は入れると思ってなくて入り口の写真を撮って通り過ぎてしまいました。次回参拝時に入ってみます。
※その後穴稲荷に入ってみました。中は広いというわけではありませんが、地上に続く穴から風が入ってきてろうそくが揺れ、独特な雰囲気があります。他に参拝者はいませんでしたが、この穴のすぐ近くを参道が通っているので、上からにぎやかな空気が漂ってきて、逆に寂しくなるような気がしました。
▲社殿からまっすぐ続く方の参道の入り口に行ってみました。やっぱり上野公園側の参道の鳥居より小さいですね。公園側は華やかな明神鳥居、こちらはシンプルな靖國鳥居と形状も異なります。
※書置きでのみ頒布
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