桔梗屋 御朱印の旅

神社ばかりお参りしてまわっております。戴いた御朱印が多くなってきたので、管理がてら公開します。御朱印以外の話も多いかも

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【御大典奉祝の旅】令和の大嘗宮 (東京-千代田区)

【大嘗宮】

だいじょうきゅう

《住所》東京都千代田区千代田1‐1 皇居 東御苑内

《祭神》皇祖神 天照大御神

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《創建》令和元年10月23日ごろ完成(祭祀日11月14~15日)

《由緒》

大嘗祭の原型は弥生時代のころともいわれていますが、現在の様式になったのは7世紀ごろのようです。天皇即位後に初めて行われる新嘗祭大嘗祭と呼ばれ、一世に一度の特殊な祭祀が行われます。大嘗宮では皇祖神の天照大御神をお招きし、天皇陛下自ら新穀を供し、共に食事をするという大嘗宮の儀が行われますが、祭祀は秘事となっています。大嘗宮は祭りのたびに建てられますが、祭祀が終わると奉焼されてきました。令和の大嘗宮は資材が再利用されることが決定しています。

かつては大嘗祭の10日前に御用材を調達し、たった5日間ですべての建物が造営されましたが、現代では技術的に困難となり、数か月かけて造営されます。

令和の大嘗宮は7月26日に地鎮祭が行われてから3か月かけて造営され、10月23日にほぼ完成の状態となりました。大嘗宮は大嘗宮の儀が行われた後、11月21日から12月8日までの18日間一般公開されることとなりました。

 

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▲東西南北の神門は丸太を皮もはがずに組み立てた黒木鳥居。南神門の正面の門は外開きになるようです。

左右の建物の上から千木が1対覗いているのが見えます。右側の内削ぎの千木は悠紀殿(ゆきでん)、左側の外削ぎの千木は主基殿(すきでん)の屋根のものです。悠紀殿・主基殿は天皇陛下が皇祖神に新穀を供え、共にお食事をされる供饌の儀が行われます。

 

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▲大嘗宮を右側から撮ったもの。画面の左端に黒木鳥居が位置してます。

画面右側の黒っぽい屋根の建物は男性皇族が参列される小忌幄舎(おみあくしゃ)で、正面を挟んで左側にも同じ建物があり、1対1組になっています。

画面の中央からやや左側、明るい色の屋根の建物は殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ)で女性皇族が参列された場所です。

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▲女性皇族が参列された 殿外小忌幄舎(左)と男性皇族が参列された 小忌幄舎(右)

屋根が違いますね。柴垣の正面にあるのはちょっと話題になった消火栓です。

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▲あちこちに木の枝が取り付けられているのが見えます。これはスダジイの小枝で和恵差(わえさし)というそうです。

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▲大嘗宮西側の様子。正面に見えるのが主基殿。その手前側、画面左の白いテントのような屋根は大嘗祭の神饌、新穀を調理するための膳屋(かしわや)で東側にも同じ建物があり、1対になっています。

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▲画面中央に廻立殿(かいりゅうでん)が見えてきました。両陛下が身を清め、着替えた場所です。画面右の白い屋根は新穀を保管する斎庫(さいこ)と呼ばれる場所。この建物だけ左右対称になっておらず、北西の方角に1棟が立っています。

 

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▲廻立殿と主基殿

 

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▲裏手には木々が生い茂り、花が咲いているためメルヘンチックに見えます。