【素盞雄神社】
すさのおじんじゃ
《住所》東京都荒川区南千住6-60-1
《祭神》素盞雄尊 飛鳥大神
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《創建》延暦14(795)年
《由緒》役小角の弟子、黒珍が住居近くの奇岩を霊場として参拝していたところ、4月8日にご祭神が出現し、自身を祀るようにとの宣託を授けます。黒珍はこれをうけ、祠を立てて丁重に祀ります。その後、素盞雄大神の社を西向きに、飛鳥大神の社を南向きに造営しました。享保3(1718)年、両社が焼失したため同年12月に瑞光殿が建てられ、2柱の神は相殿として1つの社に祀られました。
▲入口の鳥居の両側には提灯が飾られています。
▲手水はかつては水道水でしたが、新設された井戸水に切り替えられお水取りのための蛇口が水鉢の後方に付けられました。この井戸は神事や非常時の生活用水を提供するために作られた深度140mの深井戸で五十以上の項目の水質試験の結果、飲料に適合していることが分かったそうです。
▲鳥居から拝殿までの参道に小さな幟がたくさん建てられています。
▲入口の灯籠
▲幟には社紋と「祈」の字が記されており、絵馬のように名前と願意、日付を書いて奉納されています。正月だったためか、ほとんどが元日か1月2日の日付でした。
▲拝殿前にある「子育ての銀杏」
銀杏は幹に「乳」と呼ばれる乳房のようなコブができることから、安産や子の成長祈願に結び付けられることが多いです。
この子育ての銀杏は、母乳の出ない婦人が薬として樹皮を煎じて飲み、周囲に米のとぎ汁を撒いて子供の成長を祈願したそうです。幹の回りには初宮の絵馬が奉納されています。
▲境内には至るところに区の掲示板や松尾芭蕉が話す形式をとった掲示板が建てられています。
▲掲示板には節分祭のポスターや「大日本名将鑑」から素盞烏尊の絵画が掛けられていました。
▲拝殿。かつて素盞雄尊と飛鳥大神を祀る2つの社を合祀したことから社紋が二つあります。
▲左側が拝殿、右側が本殿。本殿は屋根の形状からすると流造のようです。千木が内削ぎになっています。
▲末社は左から福徳稲荷神社、菅原神社、稲荷神社
▲瑞光石と呼ばれる、創建の起源となった奇岩。正式には「神影面瑞光荊石」。千住大橋にまで岩の根が伸びており、橋脚を打ち込むことができなかったという伝承が残されています。
▲瑞光石の近くに富士塚があります。元治元(1864)年に築かれたもので、塚上には20基に及ぶ奉納碑が残されています。
▲神楽殿の中にあるのは4本の令和御大典記念の注連柱御用材。日枝神社と熊野神社の社名が記されていますが、2社から奉納されたものなのか、2社に奉納されるのかは不明です。
▲神楽殿には立派な額が奉納されています。
▲千住おおはし
左の欄干には「これを矢立の初めとして 行く道なほ進 人々は途中に立ち並びて 後影の見ゆるまではと 見送るなるべし」と書かれています。松尾芭蕉は『奥の細道』の執筆に際し、千住から旅を始めました。