【靖國神社】
やすくにじんじゃ
東京都千代田区九段北3‐1‐1
祭神 嘉永6年以降の対外事変、戦争に際して国家に生命を捧げられた246万6千余柱の神霊
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《由緒》
明治維新に際し国家のために命を捧げた人々の霊を慰め、その実績を後世に伝えようと明治天皇の思し召しで明治2年6月29日に建てられた「招魂社」が起源です。明治12年6月4日に明治天皇により「靖國神社」と命名されました。
大東亜戦争(第二次世界大戦)の英霊をお祀りしていることで有名ですが、坂本龍馬、高杉晋作など著名な幕末志士をはじめ、大戦時には学徒動員中に亡くなった学徒、当時日本人として戦死した台湾・朝鮮半島出身者など、身分や性別に関係なく明治維新から大東亜戦争で生命を失ったすべての英霊がお祀りされています。
▲九段下の歩道橋の先に巨大な鳥居が見えてきます。こちらは平成31年に参拝した時の写真ですが、参道の補修工事を行っていました。
▲参道の途中に横断歩道があります。向こうに見える緑青色の鳥居は第二鳥居。明治20年に建てられ、青銅製の鳥居としては日本一の大きさです。
▲神門は昭和9年に建てられたものです。私が初めて靖国神社を訪れた日はこの神門が放火された日でした…。
▲こちらが拝殿。一度昇殿したことがありますが、半畳ほどもある大きな鏡が納められています。神鏡というと、丸い鏡が雲の台座の上に乗っているのを想像しますが、この鏡は縦に長い楕円形で、精巧な彫刻がされた黒い木の枠で周囲を囲まれています。
靖國神社は私にとって思い入れの強い神社の一つです。
実は私が初めて「社会に出て働く」ということをしたのはこの靖国神社でした。何か深い理由があってこの神社を選んだというわけではなく、「正月に靖国神社で助勤しよう」という友人の誘いに二つ返事で答えただけでした。
「助勤さん」とは神職さんや巫女さんのお手伝いをする人のことですが、一般でいえばアルバイトのようなものです。全国の神社が一斉に忙しくなるお正月の時期には、靖国神社のような大きな神社だとホームページでも助勤を募っており、基準を満たせば誰でも応募することができるのです。
助勤をしたのは本当にたった数日間でしたが、充実した時間を過ごすことができました。職員さんだけでなく、毎年お正月にはご奉仕に来ているというベテランの助勤さんにも大変お世話になり、世間知らずな私に挨拶の仕方から教えていただきました。
国際問題の舞台になることが多い神社ですし、政治的な思想を持った方の参拝が多いのかな、と殺伐とした印象を抱きがちですが、意外に家族連れや戦没者のご遺族の参拝が多く参拝者の顔には穏やかな笑顔が浮かんでいました。
▲神池庭園。いっしょに助勤をしていたベテランさんに教えてもらった場所です。冬だったので木の多くは葉が落ちてしまっていましたが、それでも優雅な場所でした。
▲この庭園は明治の初めに作られたもので、平成11年に修復されました。池の上に橋が架かり滝が流れています。
▲池には大きな鯉がたくさん泳いでいます。
ベテランの助勤さんが教えてくれたことがもう一つあります。靖国神社に奉納された花嫁人形のことです。遊就館でも拝見することができますが、展示されていない花嫁人形たちがたくさん納められている場所を教えていただきました。
真っ白な衣装を着た華奢な人形のガラスケースが数十も並んでいます。ケースの隅には軍服姿の青年の顔写真と名前、年齢が張り付けられています。10代の青年のものも多くみられ、中には14,5歳の少年の写真もありました。一際目を引いたのは女性が赤子を抱いた人形です。ベテランさんが「一人息子だったのか、これを奉納したご両親はどうしても孫が抱きたかったんだろうなぁ」とつぶやきました。
▲こちらが花嫁人形などを拝見できる遊就館。実はまだ入ったことがないのです・・・。なんだかいつもせわしなく参拝しているため、遊就館にはしっかり時間が取れる時に入りたいなと思っています。
靖国神社は春になると桜、秋には紅葉と四季折々の表情が楽しめる神社です。桜の時期は歩道橋が崩れ落ちるんじゃないかと思うほど込み合うため、私もまだ遠巻きにちらっと確認した程度です。靖国神社には今後も何度も参拝することがあると思います。ゆっくり時間を取って、一日かけて靖国神社だけを参拝するのもいいかもしれないですね。