【尾山神社】
おやまじんじゃ
石川県金沢市尾山町11‐1
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《由緒》初代前田利家公が慶長4年(1599)に死去。外様大名前田家の2代利長公は公然と利家公を祀ることができず、徳川幕府には守護神としていた物部八幡宮、榊葉神明宮を遷座するとして卯辰八幡宮の社殿を建立し、そこに利家公の神霊を合祀しました。明治6年には現在の地に社殿を新築し「尾山神社」と改称。平成10年には正室松子命も合祀されました。
▲尾山神社へはたしか金沢城の玉泉院丸口から向かったと思います。(地図が読めない;)こちらの入り口は正参道ではないようです。石垣が規則正しく積まれています。丸い石なので川の石でしょうか。
▲東神門。東参道の階段の上に建っています。旧金沢城の二の丸の唐門で旧卯辰山招魂社にあったものが移築されました。金沢城は火災によってほとんどが焼失していますが、この門は唐門の二匹の龍によって火災を免れたと伝えられています。
▲尾山神社は金沢城金谷出丸の跡地でもあります。ちょうど我々が出入りした玉泉院丸と接しています。江戸中期以降は金谷御殿が建てられ、隠居藩主や世継ぎが住んでいたということです。
▲こちらがあの有名なステンドグラスの神門です。国指定重要文化財にも登録されています。和漢洋の様式が折衷されています。最下層は石造り、最上部は5色のガラスがはめられており、もとは御神灯がともされていたそうです。屋根の上の避雷針は日本最古のものだそうです。
▲神門の内側。壁は石造りですが、随所に美しい彫刻が見られます。東参道入り口の神門も見事な彫刻でした。
▲神苑は旧金谷御殿の庭園でもあります。かつては辰巳用水の水を兼六園から引いていましたが、現在は水路が断絶しているため井戸を掘って地下水を貯めているそうです。たくさんの鯉が泳いでおり、鴨などの水鳥の姿もありました。
▲境内には菊桜という珍しい桜の木が植えられています。菊桜はかつて京都御所から前田家に下賜され、兼六園に植えられました。そのため「御所桜」とも呼ばれており、国の特別天然記念物にも指定されていました。残念ながら兼六園のものは昭和45年に枯死しています。尾山神社の菊桜は昭和10年に積雪で折れたこの桜の枝を接木によって栽培していたものがもとになっています。見ごろは4月末から5月中旬とのことで、残念ながら花を見ることはできませんでしたが、300枚を超える花弁を付け、花の色は咲き始めは深紅、落花のときは白に変化するそうです。
▲こちらが尾山神社の拝殿。入母屋造りの瓦葺きです。金沢は瓦葺きの神社が多いですね。社務所はこの拝殿のすぐ左側にあり、御朱印もそこで受けられます。
▲尾山神社のすぐ隣にある金谷神社は2代藩主前田利長公から17代までの藩主、当主、正室を祀る神社です。
初代だけでなく、歴代の藩主やその正室までもが漏れることなく同じ境内に祀られているのは一族の結びつきの強さを感じます。利家と松のエピソードといい、金谷御殿に隠居藩主と世継ぎが住んでいたエピソードといい、ほっこりする一族ですね。
▲境内の真ん中にガラス張りの授与所があります。平成27年に完成したばかりだそうです。中には巫女さん一人がいらっしゃってお守り頒布の対応をしていらっしゃいました。御朱印はこちらではなく、拝殿左側の受付で行っています。
▲ご祭神利家公の像。背中に風船のように膨らんだ母衣を付けています。信長に仕えていたころは赤母衣衆として従軍し、槍の名手として恐れられていたそうです。
▲お松の方の像。周囲の赤い植物は、利家公亡きあとお松の方がよく育てていたとされるシャクヤクです。
▲利家公の金鯰尾兜 御祭神利家公が着用したと伝わる鉄製皮黒漆固大鯰尾形は尾山神社の宝物の一つですが、ほかにも国指定重要文化財になっている桃山時代の太刀など多数の宝物を所有しています。
▲最後にせっかくなので表参道から写真を撮りました。鳥居も一緒に入れることができたので満足ですが、こちらからだと光が向こう側に抜けるので色ガラスがうまく映りません…。午後の遅い時間だったので、午前中に参拝すればまた違った写真が撮れそうです。
アクセス:金沢駅から車で5分・北鉄バス南町・尾山神社下車徒歩3分
授与所:8:30~18:00
℡:076‐231‐4685